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滝行の前に、卍戒壇巡りへ


滝行の前に体験したのが、関善光寺のが卍戒壇巡り(まんじかいだんめぐり)。


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これがね、本当に…想像以上にすごかった。


中に入ると、真っ暗。

もうね、目をつぶってても、開けてても、何も変わらない暗闇


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頼りはただ一本の“紐”だけで、もしこれがなくなったらどっちを向いているのかもわからない。


光が一切ない世界では、五感のうち「目」以外の感覚が一気に研ぎ澄まされていく。

耳で音を聴き、手で壁や紐の感触を確かめ、足の裏で地面を感じながら進む。

まさに「感じる」しかない時間。


暗闇って、こんなにも不安になるものなんだと、身をもって感じました。

でも一緒にいたみどりさんの足音や衣擦れの音が聞こえることで、少し安心できて。

「音」って、ただの情報じゃなくて、“存在の証”なんだなぁと思いました。


もしこれが一人だったら、たぶん途中でパニックになってたと思う。

改めて、人は一人では生きていけないということを実感した瞬間でもありました。


そして、ようやく出口が近づいてきたとき。

ほんの少しの光が見えてきて、そこから地上に出た瞬間——

あたたかくて、ほっとして、思わずため息が出た。

あの安心感と開放感は、きっと一生忘れない。


この体験の中で特に感じたのは、

「人は“先の見えないこと”に対して、強い不安を抱く」ということ。


真っ暗な中で、「どこまで続くんだろう」「今どこを歩いてるんだろう」

そんな不安がどんどん湧いてくる。

でも、それってまさに今の社会の縮図みたいだなとも思った。


子育てでも、仕事でも、未来が見えないからこそ不安になって、

つい「こうすれば安心」「これが正解」って線を引こうとしてしまう。


だけど、親と子は別の人間。

同じ場所を歩いても、感じることはそれぞれ違う。

私とみどりさんが同じ道を歩いたけれど、見えない闇の中で感じていたことはきっと違ったように、

子どもたちも、自分とは違う感覚で世界を見ている。


その違いを尊重すること。

そして、「先が見えない」ことを恐れるんじゃなく、そこにどう向き合うか。

それを今回、この卍戒壇巡りで強く感じました。


先が見えないからこそ、

自分の軸を整えて、

信じる未来を一歩ずつ歩いていく——。


それが、今の私に必要なことなんだと思います。


 
 
 

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