やってもらって当たり前じゃない
- saorik273
- 8月22日
- 読了時間: 2分
最近、長男に対して雷を落とすことが増えています。
思春期だから仕方がない部分もあるし、反抗期も成長の一部。
でも、どうしても許せないことがあります。
それは「やってもらって当たり前」という態度です。
私が仕事で家にいないときも、夫や祖父母がいてくれるからこそ、長男は寂しい思いをせずに過ごせる。
ご飯も洗濯も、最低限のお手伝いをするだけで生活できるのは、おじいちゃんおばあちゃんの存在があるから。
口うるさくて、いろいろ言われることもあるけれど、それでも何不自由なく暮らせているのは決して当たり前じゃない。
そこに、どうか気づいてほしい。
私自身、入院や手術を経験して「歩けること」「息ができること」ですら奇跡だと感じました。
だからこそ、長男が「やってもらって当たり前」な態度を見せると、どうしても腹が立ってしまうのです。
でもよく考えると、私の心に浮かぶのは「感謝」という言葉でした。
喧嘩したとしても、喧嘩できる相手がいること。
話し合える相手がいること。
それだけで奇跡なんだと。
もしかすると、私自身が少し感謝を忘れかけていて、長男を通して思い出させてもらったのかもしれません
完全同居だからこその大変さは、もちろんあります。
でも私はやっぱり、仲良く家族と生活していきたい。
今、私がやりたいことに挑戦できているのも、支えてくれる祖父母のおかげです。
長男に腹を立てながらも、「やってもらっていることへの感謝」を忘れない自分でいたいと、改めて思いました。
私の実家には、97歳になるおばあちゃんがいます。
その姿を見ながら、自分が今こうしていられるのは、小さい頃から祖母や家族にたくさんの愛情をかけてもらったからだと感じます。
同居している父や母も年齢を重ね、疲れやすくなったり、できないことが増えてきました。
それでも元気でいてくれる――もうそれだけで奇跡。
本当にいろんなことがある同居生活ですが、やっぱり私は「感謝」を忘れず、仲良く家族と暮らしていきたいと思っています。
本当に、ここ最近
長男に対していろいろ思うことがあるし
考えることもあるけれど
すべての出来事を通して
自分の気づきになっていることに感謝です
ありがとう

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