「信じてる私と、心配が止まらない人たち」〜モヤッの奥にあった本当の気持ち〜
- saorik273
- 7月28日
- 読了時間: 2分
更新日:7月29日
ちょっと前にね、ある出来事で、
正直モヤッとしたというか、ちょっとイラッとしたんです。
私がちょっと外出する予定があって、
その時に、一緒にいる家族も外出する
なので
家に子どもたちだけになる時間があったんですね。
そのとき、周りの大人たちがいろいろ子供たちに言うんです
「鍵ちゃんと閉めてね」
「誰が来ても出なくていいからね」
、、、、、、、、、、
など
本当に沢山のことを
いや、もちろん心配してくれてるのはわかってる。
それが“優しさ”だっていうのも、頭ではわかってる。
でもね、そのとき私は、内心ちょっとイラッとしてました。
だって息子は中学生です 笑
私は信じて任せるタイプ
本質を見て子供達と話すタイプなので
「心配だから」と言いながら、
あれこれ指示したり、先回りしたりしないで!!
任せてあげてよーーー
ておもってしまった
でも、ちょっと時間をおいてから気づいたんです。
私が腹を立ててたのは、
「私のやり方を邪魔された」って感じてたからなんだって。
つまりね、私は自分の中の“正しさ”にこだわってたんです。
「信じてるから任せたい」
「任せることで成長のチャンスが生まれる」
それは私の考えであって、私の価値観。
でも、心配してくれる人たちにはその人たちなりの背景や思いがある。
たとえ私と違うやり方でも、それが“その人にとっての優しさ”だったりする。
そりゃあ、価値観は人それぞれ違うよね。
そこに対して「こうしてほしい」「言わないで」ってイライラするのって、
結局私も、自分の思い通りにしたいだけだったんだなって。
気づいたら、なんだかちょっとだけ心が軽くなりました。

どんな出来事も、結局は“自分が気づくため”に起こってるんだなって、
あらためてそう思いました。
だからこそ、モヤッとしたことも、
「ありがとう」って思えるようになれたら、ちょっとかっこいいよね。笑




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